心を支えるものとして、ライフギバーとはどのような対象なのでしょうか。
一つの比喩として、友情が現実のもの、実際の人間関係に避け難く結びついた現実のものであることは、
われわれが同意できることでしょう。
友情を結んだ同士の片われが死ねば、友情も終わります。
けれども、それは本当に終わったのでしょうか?
二つの可能性があります。
もし私にすでに死んだ親友がいたとして、毎晩その親友と話していると言ったら、
「あなたは少し頭がおかしくなった」と言うでしょう。
他方で、もし私が、友人が死んだら友情はおしまいだ、何もない、と言ったとすると、
それでも皆さんは少しおかしいと思うでしょう。
ある詩の一節です。
愛はどのようにやってくるのか?
探しもせず、つかわされもしないのに、やってくるのだ。
愛はどのように去っていくのか?
去っていったのなら、それは愛ではなかったのだ。
友情は二人の人間の間に存在する心理学的な現実ですが、
それでいながら彼らの中に完全に包含されているものではありません。
ライフギバーは、こういった類の対象です。
形というものは、それを作り出している物質の中にしか存在できませんが、それは物質そのもではありません。
ライフギバーは、現実的かつわれわれの精神生活に欠かせないものですが、
これは友情が人間の幸福に欠かせない要素であることと同じことです。
引用文献
ネヴィル シミントン (著),成田 善弘 (監訳)(2007) 「臨床におけるナルシシズム」 創元社
