有益な関わり

 

 

ふたりの人間の有益な関わりについて、いろいろと詳しく考えてみましょう。

 

注意と観察

 

最初に必要なことは、自発的に注意を払うことです。

 

何がコミュニケートされているのかを感知するために、聞く、見る、そしてあらゆる感覚を総動員することです。

 

行動のどんな細部も、意味を持っている可能性があります。

 

姿勢、歩き方、服装、顔の表情、声、しゃべり方、何を言って何を言わないのか、もです。

 

すべてが、その人の持つ関係の性質、こころの状態について何がしか語ってくれています。

 

教師にとって、大きなグループを観察することは大変なことです。

 

しかしある程度の期間を過ぎれば、グループ全体だけではなく、クラスの一人ひとりの生徒の行動の特徴にも

 

気づくようになるでしょう。

 

教師は、しばしば自分が思う以上に気づきを持っているもので、ほかの教師たちと話し合えば、

 

それまで意識化に蓄えられていた情報が引き出されることもあるはずです。

 

それが、次の機会に、生徒の行動のさまざまな面にもっと注意を払うきっかけにもなるでしょう。

 

なんの面倒も起こさず、隅っこに静かに座っている、抑うつ的な、あるいは引きこもったような子どもは、

 

騒動を起こしている子どもと同じように、あるいはそれ以上に緊急に検討され、

 

援助を受ける必要があるかもしれません。

 

こころが開かれていることと、受容的であること

 

私たちは、日々の体験から、自分が他者の気分に影響されることを知っています。

 

他人の憂うつに影響されて沈み込むこともあれば、集団の快活さや笑いが伝染することもあるでしょう。

 

実際にうつるとか、まさに自分の中に入り込んでくるとか、あるいは乗っ取られるなどといった表現を選びますが、

 

これこそが、私たちが情緒状態についてどう考えているのかを示しているといえます。

 

そういう感情は、ある程度までは電流のように、見えないまま受け渡されます。

 

その影響を受けて初めて、そのことに気づくのです。

 

ふつうは他人が自分をどのような気持ちにさせるのかについては語りません。

 

自分の反応が非合理的で、何か自分に個人的な弱さがあるのかもしれないと恐れるからです。

 

しかしこのことは、こころの状態や人間関係には、高度に力動的な性質があることを過小評価しているために起きています。

 

教師グループが、ひとたび自分たちの感情的な反応が他人を理解するための重要な手がかりになりうると悟ると、

 

どの生徒が自分をイライラさせるか、怒らせるか、憂うつにさせるか、考えられなくさせるか、そして喜ばせるかについて、

 

もっと注意を向けられるようになりました。

 

もちろん情緒的・感情的な反応を、観察されたデータに照らし合わせてチェックすることは大切です。

 

自分の観察と他人の観察とを比較する必要もあるでしょう。

 

言語的、非言語的レベルで伝えられる事柄に反応できず、

 

状況に巻き込まれすぎる危険を避けるための安全弁とできるからです。

 

こういう事柄は、職員室ではめったに議論されません。

 

話し合われることがあったとしても、結局は、生徒に対峙するために集まって、生徒を責めたり、

 

どうせ無理だと決めつけることで終わってしまいます。

 

問題を理解し、対応策を決めるための根拠として、得られた情報を活用することは少ないのです。

 

情緒的な体験をすること

 

恐れや抑うつや混乱などを受け止めようとするなら、情緒的な体験を“する”覚悟が必要です。

 

さらに、このような共感は私たちの中に、自分の子どもの頃や現在の生活で、

 

同じような状況を体験した時の不安を引き起こすことになるでしょう。

 

受ける影響の強さは、自分にとってとくに傷つきやすい点をつかれたかどうか、あるいは、

 

投影される苦痛な情緒の強さにもよります。

 

そうした感情が、私たちの皮膚の下に入り込む(get right under our skin)のはこのプロセスの一部ですから、

 

その感情に乗っ取られるように感じることがあっても、驚くに値しません。

 

そして圧倒されないためにも、必死でこころを使って考え続けなければならないのです。

 

しかし世界のすべての苦しみを引き受ける殉教者になった、苦痛な感情をスポンジのように吸い取ることには、

 

何の効果もありません。

 

それでは、ただ搾取の犠牲やゴミ箱になってしまうだけのことで、生徒が辛い葛藤に直面して、

 

それに取り組むことを助ける邪魔になります。

 

経験について考えること

 

つらい体験を耐えられるようにするものは、自分の内に喚起される感情について考える興味と能力です。

 

その苦痛の性質について考え、それが何についてのものなのかを認識するために、時間と空間が必要でしょう。

 

感情について考えることで、経験することとその意味を理解できるようになり、その結果、自分自身や他人のことを

 

もっと良く理解できるようになるでしょう。

 

それは人格の成熟と、情緒的苦痛に耐える能力の増大をもたらすのだと思います。

 

言語的・非言語的コミュニケーション、あるいは行動

 

コミュニケーションの意味の理解を基礎にして、他人に役立つ反応ができるようになります。

 

より適切な行動が取れるようになるかもしれませんし、あるいはすぐに行動に移すのを止められるようになるかもしれません。

 

あるいは、関係の中で起こっていることについて、何かの情緒的体験の実相を如実に示すようなことを、

 

話せるようになるかもしれません。

 

いすれの場合にせよ、相手は、そうした理解によって、自分の情緒的苦痛を調節してもらったと体験することになるでしょう。

 

そしてこの体験こそが、最終的のその感情を自分の中に統合できるようにするのです。

 

教室でそうした体験ができると、それを基盤にして生徒は、もっと強い忍耐力と、

 

情緒的苦痛に耐える力を発達させていけるといえます。

 

 

 

引用文献

 

イスカ ザルツバーガー‐ウィッテンバーグ (著), E. オズボーン (著), G. ウィリアム (著), 平井 正三 (翻訳), 鈴木 誠 (翻訳), & 1 その他(2008)

 

「学校に生かす精神分析」 岩崎学術出版社