「疲れた」の心理(つづき)

 

 

サナトリウム家族の母と子

 

家族精神医学の言葉に、「サナトリウム家族」という名前があります。

 

これは、お父さんやお母さんが、お医者さんや看護師さんのように、子どもたち、あるいはお互い家族同士をいたわり、

 

まるで家族の中がサナトリウムのような雰囲気の場合を言います。

 

お父さんが「きょうは会社で1日忙しくて疲れた」と言うと、

 

「それでは、この特別な栄養食を食べたらどうですか」、「この新しいサプリメントはどう?」、

 

「このマッサージはどう?」といって、あれこれと身体の健康に気を配ります。

 

うちじゅうが、人間というものはわずか1日働いてもくたびれたり、肩がこったり、緊張したりして、

 

うちの中でそれをケアしなければやっていけないかのような思い込みのある家族です。

 

子どもが「きょうはちょっと疲れているな」と言うと、「熱をはかったら?」とか、

 

「頭が痛い」といえばすぐにかかりつけの先生にというふうに、

 

まるで子どもたちは病気予備軍のように扱われます。

 

実は母親自身も、きょうはちょっと脈が早いとか、頭が痛いとか、肩が凝ったとか、

 

最近ちょっと腰痛だけど、背骨がずれているのではないかとか、しょっちゅう自分の健康を気にしています。

 

そして、お母さんの楽しみは、近くによいカイロプラクティックの先生を見つけて通うことだったり、

 

あるいはどこかの健康教室の話を聞くことであったり、ニュースでも健康情報は欠かさずに見ています。

 

こんなふうに、子どもがまるで病気予備軍のようにして扱われる家族の中では、

 

子どもの「疲れた」という一言は、大変な大きな響きを持っています。

 

いつの間にかその子は、いやだ、つらい、たいへんだ、もうやめたい、たすけて、というふうな言葉を、

 

みんな疲れた、調子がおかしいと、

 

身体の調子の言葉で、言い表してしまいます。

 

このようなサナトリウム家族は、学校で疲れる子どもの温床になっています。

 

 

 

心理的な疲れが起こる原因

 

では、「疲れた」という言葉が、心理的な疲れを意味するのはどのような場合でしょうか。

 

第一に、教室で過度に緊張し、不安でビクビクし、また、つらいのをじっと我慢して勉強する子どもは、

 

普通の子ども以上に心理的な疲れが起こりやすいです。

 

普通の子どもより学力が低ければ、先生の言っていることに十分についていけないです。

 

普通の子どもだったら楽しみながらできる勉強も、その子にとっては大変な苦痛であり、

 

艱難辛苦に耐えて教室に座って勉強を聞くことになるから、

 

普通の子の何倍も疲れた、疲れたと、彼は思います。

 

しかし、その場合には、彼の特質や学力が学校の授業とうまくマッチしているか、いないかを考えることが

 

まず必要です。

 

第二に、先生が好きか、嫌いかも、疲れた、疲れないの違いを左右します。

 

大好きな先生と勉強していれば、楽しい授業になりますが、

 

嫌いな先生、あるいはこわい先生、威張っている先生だと感じ、

 

それを我慢しながら授業を聞いていれば、大変に疲れます。それは、大人も同じことです。

 

このような感情的な面での我慢とか、自分を押し殺しているとか、

 

一定の時間じっと静かにおとなしくすわっていなければならないというストレスで生じる、

 

ある種の緊張性の疲れというものがあります。

 

その間ずっと、うれしいことも楽しいこともなくて、ただただ我慢しているというならば、

 

そのような意味での疲れが生じるのも、やむを得ません。

 

B君は、いつも学校に行って帰ってくると、疲れた、疲れた、と言います。

 

よくよく聞いてみると、先生の授業の中でわからないことがたくさんあるためだということがわかりました。

 

たとえば、彼は算数の基礎が飲み込めていない面であって、さらにその先の授業を聞いていると、

 

すぐにわからなくなってしまう。

 

何とか一生懸命わかろうとしますが、途中で頭が疲れて、ついていけなくなってしまいます。

 

彼が疲れた、疲れた、というのは、どうもこの基礎的な勉強を身につけ損なったためらしいです。

 

C君が、疲れた、疲れた、と言うのをよく聞いていると、

 

担任の先生が三年生になって代わってからです。

 

たしかにその先生は、今までの先生に比べて厳しくて、ちょっと荒っぽいようなところがあります。

 

いつバーンと怒られるかわからないし、ときどき、かわりばんこにクラスの仲間が立たされたり、

 

叱責されたりします。

 

今度はいつ僕の番かと思うと、不安と緊張が高まってしまいます。

 

しかも、授業はちっともおもしろくないです。

 

早く終わらないかな、終わらないかな、とひたすら授業の終わるのを待ち望む気持ちで、

 

教室にじっと座って我慢していなければならないのです。

 

そのころからC君は、学校に行くと、

 

疲れたという実感を持つようになってしまいました。

 

ときどき「あんまり疲れて頭が痛くなるよ」と母親にも訴えます。

 

これも、いやな先生の授業を我慢して聞くことでの、心理的な疲れといえます。

 

 

 

参考文献

小此木啓吾(2000) 「しつけの精神分析」 金子書房