人は誰しも、生きていくうえで「自己愛」を必要とします。
これは、いわゆる「ナルシスト」や「自己中」という意味ではありません。たとえば、「自分は自分である」という当たり前の感覚、
行動や考えの出発点に「自分」があること、などが「自己愛」です。
他者への愛情も、思いやりも、犠牲的精神も、その出発点はすべて自己愛です。
自己愛のなかでも、特に自分に向かう自己愛は「自信」、もしくは「プライド」という形を取ります。
この2つはなかなか一致しません。それどころか、しばしば反比例します。
プライドが高い人は往々にして自信がありません。自信がある人はプライドにあまりこだわりません。
ひきこもりの人は、一般的に自信がないのにプライドが高いことが多いようです。
いや、自信がもてないからこそプライドにしがみつくのかもしれません。
表面的な態度は傍目には非常に傲慢にみえることもあり、ただ怠けて自己中心的でわがままに振る舞っているかにみえますが、
彼らくらい自分に対して否定的な評価を下している人はありません。
「自分は存在価値がない人間」というくらいに思っていることが多いのです。
虚勢は自信のなさの裏返しです。
ひきこもっている人の多くは、自分自身を愛することに失敗しています。
私たちは、様々な成功体験や、自らの業績、あるいは現在の社会的地位、自らの人間関係などによって自信を支えています。
自信とは、自分に対する肯定的感情です。
また、人間の自信回復ルートとして、肯定的な対人関係(相手を肯定し、相手からも肯定される)は、きわめて重要なものです。
自信の欠如も、過剰な自信も、生きづらさをもたらしますが、程よい自信は水のように淡々と等身大の自分を支えます。
そして、この種の自信には他者との出会いや、他者との関わりが欠かせません。
だからといって、ひきこもりの当人をすぐに外に連れ出して他者に会えばいいということではありません。
ひきこもりの人にとって、家の外は不安と恐怖で満ちています。
ひきこもりの支援において、相談者の多くは家族で、当事者自身が来談することは稀です。
そのため家族への支援は必要不可欠であり、非常に重要となります。
私たちは、ご家族の抱える悩みや苦痛に寄り添い、引きこもりの当人の心理や行動をどのように理解できるか、
また当人にどのように対応したらいいのかについて一緒に考えます。
参考文献
「ひきこもりはなぜ「治る」のか?-精神分析的アプローチ-」斎藤環著