「知ること」による悲しみ

 

真の意味で新しいことを知るということは、創造的です。

 

一方で、何か新しいことを知るということには、苦痛を伴うことがあります。

  

たとえば、父親の価値観について信じ込んでいた子どもが、学校生活を通していろいろな新しい価値観を知ったとき、

 

彼はそれまで信じていた価値観の放棄を迫られ、情緒的に喪失を体験します。

 

つまり、これまで理想的に捉えられていた父親のイメージが、ただの大人に見えたり、

 

場合によると醜い男として経験されたりするときに起こる親に対する幻滅の体験でもあります。

 

 

 

このように、何か新しいことを知ることは、それまで大切にもっていた主観的なイメージや思い込みを失うことを意味し、

 

その結果、人は悲哀の作業を行うことになります。

 

 

 

愛情や依存の対象を、その死によって、あるいは生き別れによって失う体験を、対象喪失(object loss)と言います。

 

近親者の死、恋人との別れ、転勤などは、いずれも自分のこころの外にある人物や環境が実際に失われる経験ですが、

 

これに対して、上記のような例はその人の心の中だけで起こる内面的な対象喪失です。

 

 

 

フロイトは、この心理的過程で生じる悲哀の作業を「モーニング・ワーク」と呼びました。

 

そして、それは一定の内的な拠り所、安定した居場所のなかで、初めて体験することが可能になります。

 

カウンセリングは、クライエントがその過程を歩むための拠り所となり、ともに悲しめる場所として機能し存在します。

 

 

 

 

 

参考文献

「対象喪失 悲しむということ」小此木啓吾著

「心の臨床家のための 精神医学ハンドブック」小此木啓吾・深津千賀子・大野裕編