「疲れた」の心理(つづき2)

 

 

仲間との間での疲れ

 

調子がおかしいといって、朝、登校をしぶり、お母さんがいくら言っても、

 

「もう昨日ですっかり疲れちゃったから」といって学校に行きたくないという子どもの中には、

 

2つの場合があります。

 

1つは、昨日何かすごくいやなことがあって、気持ちが落ち込んでしまった場合です。

 

子どもは、憂うつだとか、きょうは気持ちが落ち込んだとか、

 

気力、体力が下がってしまった、朝がつらい、学校に行く気がしないとか、

 

そういうことをなかなかうまく言葉で言えません。

 

そういうときに、「ぼく、疲れちゃった」という場合があります。

 

疲れた子どもが言う場合には、このような面からみる必要があります。

 

つまり、いま、この子は何かいやなことがあって憂うつになっているのではないかとか、

 

すごくがっかりしているのではないかとか、

 

そういうことをよく聴いてみてあげたら、どうでしょうか。

 

疲れたというなかには、全身がだるいという形で感じていますが、

 

本当は気持ちが落ち込んでいたり、もう憂うつで、がっかりして、何にもする気がしない、

 

こういう疲れもあります。

 

もう一つの疲れは、仲間の中でのつき合いが、とても疲れていやだという場合です。

 

たとえば、大人でも1杯飲んで楽しく人と付き合うのが嫌いという人もいます。

 

このような人が、忘年会とか納涼会があると、ものすごく疲れたと言います。

 

つまり、自分が好きではないことを我慢して人とつき合うというのも、疲れる大きな原因になります。

 

自分が好きな映画を見ているとか動画を見ているとなれば、楽しくておもしろいから全然疲れないのだけど、

 

あまり楽しくない人たちとじっと我慢して、ニコニコして、社交的な顔をして話していれば、

 

ものすごく疲れます。

 

それと同じことが、子どもたちにも起こります。

 

ちっともおもしろくないと思いながらも、我慢しながら、体育でみんなとつき合う。

 

あるいは、おもしろくない運動をする。

 

あるいは、休憩時間にみんなと何となくワイワイと気を使いながら一緒にグループの中にいる。

 

こうした状態が続くことによる心の疲れがあります。

 

そういうときに、「ぼくはあんな仲間といたくない」とか、「もうワイワイやるのもいやだよ」と

 

言えばまだいいのですが、そういう風になかなかうまく口に出せない。

 

そうすると、「体育が大変で、疲れちゃう」とか、そういう言い方になってしまいます。

 

しかし、本当は決して体が弱いとか、体力がないからではなく、

 

心理的に無理をして友だちと付き合ったり、我慢してグループにとけ込んでいるから、疲れるのです。

 

 

 

子どもたちにもある燃え尽き症候群

 

大人の心の生活で、ただの疲れを通り越して、いわゆる疲弊状態、もう何もかも疲れてやる気がしなくなってしまい、

 

いろいろなことをギブアップしてしまうという状態に落ち込むことを「燃え尽き症候群」といいます。

 

燃え尽きというのは、英語でバーン・アウト(burn out)。

 

ただし、この場合だけはburn outをつなげてバーンアウト・シンドロームburnout syndromeといいます。

 

どういうときに起こるかというと、一生懸命何かに打ち込んで、期待と希望を抱きながら普通の何倍も努力し、

 

集中していた。

 

しかし、残念ながらその目標を達成することができなかった。途中で、挫折してしまった。

 

あるいは、一応目標は達成したけれども、結果的に見ると、みんなにほめてもらったり、称賛してもらえなくて、

 

あてが外れてがっかりしてしまった。

 

もうこれ以上がんばったり、努力したりができないという心身の状態に落ち込むことが

 

燃え尽き症候群です。

 

子どもの場合にも、これに類した、子ども版の燃え尽き症候群がしばしば見られます。

 

それまで一生懸命勉強して努力したのに、受験に失敗してしまい、それきり無気力状態に陥り、

 

もう何もかもやる気がなくなってしまう。

 

聞くと、「このごろすぐ疲れて、ダメになっちゃったよ」というような言い方になる。

 

本当は大人と同じような燃え尽き症候群の状態なのです。

 

その心の中には、

 

「こんなに頑張ったってうまくいかないのだから、もう二度とやるものか」とか、

 

「あーあ、ぼくはやっぱりみんなに比べてダメなんだ、何をやっても失敗しちゃうんだ」という自己嫌悪の気持ちとか、

 

自信喪失とか、あるいは、周りの人に対する恨みとか、

 

いろいろな気持ちが渦巻いています。

 

このような気持ちを子どもとよく話し合って、心の立て直しを図ることが大切です。

 

しかし、子どもは、ただもう疲れて、何をやったってすぐにいやになっちゃうという態度しか見せません。

 

その心の奥に、一体どのような当て外れがあったのか。

 

一生懸命勉強してがんばったのに、先生に認めてもらえなかったのか、成績がわるかったためなのか、

 

一生懸命やった結果に対するみんなの評価が低かったためなのか、

 

あるいは、両親のほめ方、評価がうまく伝わっていないのか、

 

彼らの気持ちをよくよく聞いてみることが、燃え尽き症候群の対策としての出発点となります。

 

そして第二に、どうやったら新しい希望と期待に満ちた目標を設定することができるか、です。

 

人の心は、一定の目標があり、希望と期待があれば、相当大変なつらいこともいやなことも我慢して

 

やり通す気力が高まるものです。

 

しかし、ひとたびこの希望や期待が失われると、とたんに気力も低下し、何をやってもすぐに疲れて、

 

すぐに途中で休んでしまう、くたびれてしまうという精神状態に落ち込んでしまいます。

 

調子のいいとき、悪いとき、燃え尽き状態になったときの心の対処の仕方を、

 

子どもたちが自分たち自身で身につけることができるように導くことが、とても大切です。

 

 

 

一応、身体の点検も

 

しかし、最近まで何もそういうことを口にしなかった子どもが、急に疲れやすくなったと訴えるときには、

 

まず医学的な診察・検査を受けて、疲れの原因になっている病気があるか、ないかを確認しておくことが

 

大切です。

 

何らかの病気の兆候が、全身倦怠感、疲労感という形で始まることはとても多いからです。

 

その中には、軽い風邪のような場合もあるし、本当の意味での病気の始まりの兆候ということもあり得ます。

 

そしてその次に、心理的な落ち込み、つまり燃え尽き症候群のような意味合いの「疲れた」があるか、

 

ないかを確かめられたらいいです。

 

その上で、「疲れた」という言葉の多義的な使い方のどの意味で言っているのかを読み取ります。

 

お母さん自身がこの手続きを踏んで、子どもたちの「疲れた」に耳を傾けることから、

 

学校で疲れた子どもたちについての理解と対策が始まります。

 

 

 

過密なスケジュールからくる疲れ

 

さらに、現代の子どもたちはあまりにも多忙すぎるという考えもあります。

 

学校にいる間はむしろひと休みしていて、終わってから、夜遅い時間まで塾に通う。

 

なかには、受験・進学の塾の勉強だけでなく、音楽教室にも行く、水泳教室にも行く、

 

英会話教室にも行くという子がいます。

 

とにかく時間をできるかぎり有効に生かして、いいことを身につけて、

 

競争社会で一歩でも人より優れた能力を身につけるのが大切だという考え方の中で暮らしています。

 

息を抜くところもない、子どもらしく遊びたい気持ちも満たされない、本当の意味での楽しい友だちといたずらをしたり、

 

ふざけたり、子どもっぽい世界でワイワイやる時間もない。

 

これらの、子どもらしい気持ち、楽しい気持ちをじっと抑えつけ、

 

我慢していることからくる疲れがあるかもしれません。

 

また、物理的にも、本当に食事をとる時間もなくて、お弁当を5分でかき込むというような生活を続けることでの

 

疲れもあります。

 

ただ単に学校で疲れているというだけでなく、

 

子どもたちの1日の生活スケジュールからくる疲れもまた念頭に置いて、

 

学校での疲れの位置付けがされなければならないでしょう。

 

 

 

 

 参考文献

小此木啓吾(2000) 「しつけの精神分析」 金子書房